今年の夏、毎日書道展のかな部門で入選させていただいた。
確か三度目だ。先生のご指導のおかげと、心から感謝している。
知人、知己に知らせようと思ったが、今夏、あまりに暑く、連絡を受けた人は義理とはいえ炎天下、上野駅から東京都美術館までの十分ほどを歩くことになる。
それは非常に迷惑だろう。今年の暑さは異常だった。
だから、友への通知は一切せず、私と家内は別々に一度見に行っただけだ。
人もまばらな静かな展示室でぼんやり周囲の作品をながめていると、墨のいろの美しさに魅せられる。静謐と陶酔。
先生、拙い私の作品を何度もご添削いただき有難うございました。
重ねて御礼まで
(11−14−2024)
今年、ウクライナの3名の世界チャンピオンが活躍した。
ヘビー級のオレクサンデル・ウシクが4冠王座を統一。
ライト級のロマチェンコがカンボソスを破り、IBF王座を獲得。
同じくライト級でデニス・ベリンチクがナバレテを決定戦で破り、WBO王座を獲得。
彼らの活躍はウクライナの人々を力づけたに違いない。
私もウクライナの国歌を書いて彼らへの応援歌としたい。
(7−25−2024)
散歩しては、善福寺公園事務所のギャラリーをのぞく。展示物は初日から同じものでなく、徐々に付け加えている。
まず、百人一首の和歌がくずし字で、そのままでは一般人が読めないので、変体かなでなく現代のかなに書きくだした。それを丁寧に筆で書いた。その注記自体が書道作品であるかのように、末尾に印を捺した。
先日、顔真卿の「逍遥楼」臨書の注釈を筆書きし、それを壁に貼りに行った。この注釈も書道作品。添付ファイルがそれである。
夫婦の個展でやや小さいとはいえギャラリーを貸し切り、自由にレイアウトを変え、展示の拙作を変化させる。一年間の書道、水墨画の習練の成果を披露する場を持つ。それはわれわれのようなアマチュア・アーチストにとり、まさに喜びである。
(1−12−2024)
杉並区の善福寺公園ミニギャラリーで、われわれ夫婦だけの個展、新春水墨画・書道展が開かれています。
お近くの方はどうぞご来観ください。
JR荻窪駅北口から
「南善福寺行き」バスで15分
「善福寺公園前」で下車
そこから徒歩3分です。
7月17日の朝刊にある女優の訃報が載っていた。その出演作品を目で追うと、「欲望」というタイトルがあった。
この映画にはちょっと関心がある。初めて見たのは、20代でまだ神戸にいた頃だ。確か、阪急三宮駅の階上にあった阪急会館だと思う。
当時、世の中は不条理ばやりで、文学から映画まで前衛が流行った。この映画もその系統だ。難解で、何か訳が分からなかった。それからもう半世紀を経た。
あるとき、「ラテンアメリカ文学入門」(中公新書)に導かれて、中南米の短編小説を読みだした。フリオ・コルタサルというアルゼンチンの特異な作家、その短編集「悪魔の涎」(岩波文庫 赤790-1)を読み終わり、解説(290頁)の記述に驚いた。
数行引用する。
『悪魔の涎』(ちなみに、映画監督のミケランジェロ・アントニオーニがコルタサルのこの作品を読んで触発され、映画『欲望』を製作したことはよく知られている)(中略)。パリに住む翻訳家で、余暇をアマチュア・カメラマンとして過ごしている主人公が撮った一枚の写真が突然動き始め、身の毛のよだつような恐ろしい現実が隠された一面を開示した(後略)。
原作はこれか。この映画はずっと気になっていて、数年前、アマゾンでDVDを求め、50年ぶりに見直した。カメラマンの主人公はデビッド・ヘミングスが演じ、彼が撮ったフィルムの返却を求める女がヴァネッサ・レッドグレーブだった。ジェーン・バーキンは端役だったような気がする。
「欲望」の原題はBlowup (引き伸ばしの意味)で、カメラマンが撮った写真を何度も拡大し続けると、ある殺人事件を暗示する画像が現れる。
実はいま水墨画と書道に凝っていて、画のなかにとても小さな字を書き込む試みをしている。その部分を何度も引き延ばすと、漢詩の数行が現れる仕組みだ。
私はそんなBlowupに興味を持っていて、その一因は若い頃に見たこの「欲望」にあるのかもしれない。
それにしても、痩身の若い女ジェーン・バーキンはどんな役柄だったのだろう。それを思い出すために、書庫の奥のDVDを見直そうか。いや、それも面倒だな。
<あとがき>
車で10分の近くにトランクルームを3室借りている。さしあたり必要ではないもの、本やビデオなどをそこに収納している。その中に「欲望」のDVDがあるはずだ。ジェーン・バーキンの役柄を確かめるため、奥の奥まで探すのは実に億劫だ。いつの日かそのDVDを手にすることがあるだろう。そのときに見直せばいい。いや、そのとき、もう「欲望」に興味を失っているかもしれないが・・・。
フリオ・コルタサル(Julio Cortazar)はアルゼンチン人の両親のもと1914年、ベルギーで生まれ、4歳のときアルゼンチンに移った。37歳でフランスに移住し、1984年の誕生日前、69歳のとき白血病で逝った。
コルタサルがアルゼンチンにいた頃、同国はボクシングが盛んだった。フランスに移っても、ボクシングに興味を持ち続けたのではないか。
1. PASCUAL PEREZ (5/4/26 in Tupungate, Mendoza)
World 112 (54-60)
2. HORACIO ACCAVALLO (10/14/34 in Parque Patricios, Buenos Aires) (H. Enrique A.)
WBA 112 (66-67)
3. NICOLINO LOCCHE (9/2/39 in Tunuyan, Mendoza)
WBA 140 (68-72)
4. CARLOS MONZON (8/7/42 in San Javier, Santa Fe)
World 160 (70-77)
5. VICTOR EMILIO GALINDEZ (11/2/48 in Vedia, Buenos Aires)
WBA 175 (74-78)
WBA 175 (79)
その作品の中にボクシングの記述があるか、探してみた。たとえば、例の映画の原作「悪魔の涎」の中にあった(岩波版、72頁9行―10行)。
「少年は、戦意をなくし相手の決定的なパンチを待っているボクサーのようにうつむいていた」
ここで飛躍しよう。1974年、フランスでカルロス・モンソンとホセ・ナポレスの世界戦が組まれた。支援者は俳優のアラン・ドロンだったといわれる。このとき、コルタサルは世界的名声を得た作家であり、かのBlowupにより映画界とののつながりがあった。
試合会場のPuteaux, Hauts-de-Seine, Franceに作家コルタサルがいた可能性は推測できる。
さて、これから私は何をするのか?
コルタサルの短編集が岩波から2冊出ている。もう1冊は「秘密の武器」だ。これらを読み返し、ボクシングの記述を拾い出してみよう。
そして、Wikipedia で読んだコルタサルの著作の中に興味を引かれる晩年の旅行記があった。「かくも激しく甘きニカラグア」だ。それをAMAZONで注文した。アルゲリョが出てこないだろうか。
ある女優の訃報から彷徨が始まり、机上にいろんな本が積まれることになった。私にとり幻の作家、フリオ・コルタサルを求めて、もう少し遠出をしてみよう。
(7−23−2023)
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原稿用紙に万年筆で随筆を書いてみた。
亡父の思い出をである。
最後にしくじりをした。
押さなくてもいい雅印をおしたところ、上下を間違えた。
まあ、こんなこともあるだろう。
(5−18−2023)
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明日4月26日のスポーツ報知に
米倉会長追悼の拙文が掲載されます。
機会がありましたら、どうぞご一覧ください。
(4-25-2023)
高知の龍馬記念館で勝海舟展を見たとき、ある随筆が思い浮かんだ。それを小筆(浅草宝研堂 行成筆)で書いた。
最近、紙に凝りだし、筆で書いたこの原稿用紙は日本橋の老舗紙専門店、榛原(はいばら)で求めたものだ。永井荷風が日記「断腸亭日乗」を書いた日乗箋(榛原製青色十行罫紙)と同じ紙だという。
勝海舟とシャーロック・ホームズがあの龍馬記念館で突然むずび付いた。それを記した。
(4−7−2023)
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2月24日、後楽園ホールでWOWOWファン感謝祭に出演し、田中角栄、川上のぼる、桂文楽(これはあまり似ていなかっただ)の声帯模写をした。なぜ大勢の前であがらないのか、という質問があった。それはその時をエンジョイするからだ。うまくやろうと力むから、緊張し、失敗する。「こんなものたとえ失敗してもいいんだ」と思うと気が楽になる。
翌25日は、大阪ATCホールでメキシカン2名、タイ人1名のマッチメーク。
翌26日朝10時10分発の高知行きの飛行機に乗り、11時過ぎには到着。12時にはサンピアセリーズ体育館着。
興行が早く終わり、4時からひとり高知見物のドライブをした。その紀行文が土佐日記ならぬ、土佐紀行である。
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(2−28−2023)
正月の五日、午後ホテルオークラで日書展(日本書道美術院)の表彰式があり、拙作は秀逸を頂戴した。秀逸は特選の次の賞であり、去年の優作より上である。
終わり次第、作品が展示されている東京都美術館へ移動する。
結構車が混んでいて、上野に着いたのが4時過ぎだった。
上野駅すぐ横の駐車場から美術館まで距離があるので、家内は車庫入れし、閉館に間に合うよう私だけ見に行った。
人気(ひとけ)のない静かな展示場で、諸先生がたの立派な作品をながめ、さらにわが拙作を見ていると、何度も書き直した過程が思い出された。
ご指導に心から感謝する次第である。
(2−8−2023)
ほぼ毎日泳ぐので、気分を変えるため、何種類かの耳栓(みみせん)を使っている。
ローテーションで使ったり、その日の気分で選んだり・・・
最近、最も愛用している耳栓が泳いでいる最中になくなった。
そのときのことを、短い随筆に書いてみた。
(2−5−2023)
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今日2月1日のスポーツ報知連載コラム
BOXINGアラカルト
「ボクシングほど面白いものありますか?」というタイトルで
その面白い点10ヵ条を書いています。
どうぞご一読を!
(2−1−2023)
随筆のような短い文章はできるだけ筆で書こうと思う。
新年に入り、「骨董屋への恩返し」という短文を書いた。
小筆でゆっくり書くリズムが随筆を書く場合には合っているように感じる。
(1−20−2023)
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これは毎日プールへと歩くとき浮かんだ自詠の句である。
何の変哲もない駄句かもしれないが、
他人の句を書くより自分の句を書いた方が身が入る。
そして、同じ句を繰り返し書くことにより習熟するだろう。
(1−11−2023)