発行:リング・ジャパン、発売:星雲社 特別価格 1,000円(税・送料込み)
まえがき
特別編 シュガー・レイvs.シュガー・レイ ロビンソン、レナード もし戦わば
あとがき
英語で10年間をDECADEと呼び、正式には例えば1981年から1990年のように1で終わる年から次の0で終わる年までを指す。ちなみに、100年間はCENTURY(世紀)と呼ぶ。
この本のタイトルはおかしい、と思われるかもしれない。ボクシングの歴史において、80年代だけが輝いていたわけではない。各10年間はおのおの独自の輝きを放っていたはずだから。60年代も、70年代も、90年代も輝いていたはずだ。
いま80年代の特徴を明示するため、70年代から90年代までを彩った名選手たちを列挙してみよう。
<70年代>
アリ、フレージャー、フォアマン、フォスター、モンソン、ナポレス、クエバス、セルバンテス、ベニテス、デュラン、アルゲリョ、D・ロペス、ゴメス、オリバレス、サラテ、カント、具志堅用高
<80年代>
ホームズ、タイソン、スピンクス(弟)、デ・レオン、ハグラー、レナード、ハーンズ、デュラン、マッカラム、カリー、カマチョ、チャベス、サンチェス、ペドロサ、ネルソン、フェネック、ピントール、チャンドラー、渡辺二郎、カオサイ、ローマン、チタラダ、張正九、柳明祐
<90年代>
タイソン、R・ジョーンズ、ホプキンス、ウィテカー、チャベス、デラホーヤ、トリニダード、クォーティ、ジュー、ネルソン、ヘナロ、ハメド、モラレス、バレラ、辰吉丈一郎、H・ゴンサレス、カルバハル、R・ロペス
こう並べると、80年代の持つ意味が明瞭になる。70年代のスーパースターたちが当時の水準を越えて発揮した稀有の技量が、ジムという現場に伝達され、80年代にそれが解剖され分析され実験され改良され、さらに世界中に浸透し、技術レベルが飛躍的に向上した。それが80年代だった、と思う。90年代になると、その技術的浸透はさらに加速された。
いかなる名選手にもアナはある。名選手は長所で短所を隠し、短所が露見する前に相手を倒す。しかし、名選手もいつか短所を解読され、そして落城する。――その下克上のプロセスは非常に技術的であり科学的である。すなわち、現在の栄光も、将来の没落も、過去の軌跡の中に前兆が潜んでいる。
「ワールド・ボクシング」誌に80年代を通じて、「世界のトップボクサー技術分析」と題したコラムを書き続けた。その10年間は、偏執的といえるほどビデオを見て、各選手の長所、短所を綿密に観察した。
そのビデオ観察記をまとめたのが本書である。これはビデオの画面と対峙し、対決した「わが戦記」である。そして、86年(もう15年以上前になる)に出した拙著「ボクシングは科学だ」のパート2でもある。
本書はいわば記号論だ。
全編、「左ジャブは」、「右ストレートは」、「左フックは」、「右アッパーは」といった記号(専門用語)の連続である。これは、マニア、ボクサー、トレーナーのための本である。
筆者にとりこれは11冊目の本だ。
いつも筆者は言う。「私の言うこと、書くことが絶対的に正しい、などという積りはない。私はある時点において自分の意見を提示する。それを土台に議論が展開されるのが、私の希望だ。将来の状況が変化すれば、私自身、意見を変える、あるいは変えざるを得ない可能性がある」と。
ボクシングのセオリーにおいては、@変化しない部分とA変化する可能性がある部分とがある。たとえば、@は、「ナックルでヒットすべきだ」、「バランスが重要だ」、「急所を打てばパンチが効く」などの基本的セオリーである。しかし、Aは、コンビネーション・ブローの組み立て、それに対応するディフェンスおよびカウンター、より速く強く打つためのトレーニングなどの方法論である。
ボクシングのような変化、流行の激しい格闘競技において十年一日、同じセオリーを唱えていては、時代の流れに取り残され、目先の試合に勝てない。
「セオリーはつねに現実に琢磨されねばならない」と思う。
琢磨とは、玉をすり、磨くがごとく、学問・技術に励み修練することだ。ボクシングのセオリーというものは、現実のファイトにより変化する柔軟性を持たねばならない。現実を見つめ、それに追いつき、さらに将来のセオリーを打ち樹てるためには、観察、分析、発見、工夫、実験、修正などのプロセスが必要である。努力なくして現実の変動についてはいけない。
筆者はマッチメーカーであり、マネジャーであり、筆を執る批評家である。現実と文章の間をいつも往復する。自分の考え(すなわち、仮説)や評価が間違っていたことを目の前の試合で実感させられることも多々ある。
80年代、筆者は中島成雄選手の世界戦のトレーナーをし、渡辺二郎選手のカットマンでありアドバイザーであった。赤井英和選手の世界戦ではエディ・タウンゼント氏の代役トレーナーでセコンドを務めた。後輩の千里馬啓徳選手をデトロイトのクロンク・ジムに預け、エマニュエル・スチュワード・トレーナーの指導法をつぶさに見た。メキシコのジムも何度か訪れた(案内役を務めてくれた西出健一氏に感謝する)。ヨネクラ・ジムでは松本清司トレーナーの教え方を見、三迫ジムではエディさんのコーチ法を観察した。
私の中でセオリーと現実の格闘があった。その経験は、このトップボクサー技術分析の中に表れている。
1980年代、筆者は多くの時間をビデオを見ることに使った。取り憑かれたように連日、海外・日本の試合をビデオで観察した。その所産が本書である。80年代の最初と最後でさえ、ボクシングが変化している。ボクシングは90年代にまた変容し、21世紀になりいまなお変わり続けている。
たとえば、タイソンが得意とした右フック(脇腹)―右アッパー(アゴ)−左フック(ジョー)のコンビネーションは、昨今、世界中の選手が打つ。80年代には一部の選手しか使用しなかったダブル・ジャブが、(右クロス・カウンター封じの効果を認められ)世界中で一般的に使われだした。サウスポーに対して右のダブルを打つのも、90年代に入り、一般化した。一方、スピード・アップ、コンビネーション・ブローの回転高速化に伴い、インファイトの技術の一部は効果的ではなくなりジムで教えなくなってきた。それは技術の進化が他の技術の退化を犠牲として促進される例だろう。
その進化を起こしている原動力は、世界各地のボクサーとトレーナーの集合体にある。今後ともこの集合体はボクシングを、そのセオリーを部分的に修正し続け、その蓄積が結果としてボクシングの技術を進化させるだろう。
いいファン(ボクシング観察者)とはここでいう変化や進化に敏感な人たちだろう。そのような感度のいい観察者のためにこの本をまとめた。
細かいことを補足しておきたい。
階級の呼び名は当時のものを使った。輪島功一はジュニア・ミドル級のチャンピオンで、浜田剛史はジュニア・ウェルター級の王者だ、と当時言った。いまさら、歴史を塗り替えるように、輪島はスーパーウェルター級チャンピオンで、浜田はスーパーライト級王者だった、と改竄することを本書ではしない。肩書きとチャンピオンの名前とはイメージの中で密接に結びついている。違和感を催させるような、過去に遡って階級の呼称を変えることを本書では拒否した。
中南米選手の名前も、当時の呼び方をそのまま使った。ルーベン・カスティーヨを“カスティージョ”とは表記していない。われわれの記憶の中で、海老原と戦ったのはアカバリョであり、アカバージョではない。そんな枝葉末節より、本書で議論すべきは各選手の細かい技術の分析である。本末を転倒すべきではない、と考えた。手間を省いたのではない。カスティーヨをカスティージョと書き変えるくらい、パソコンの「置換」をすれば一瞬のうちに全編を通じて行える。あえてそれをしなかったのは、議論の途中、出てくる選手のイメージを読者により瞬時に想い起こしてほしいからである。
明らかに筆者の評価、予想が外れている例もある。たとえば、レスリー・スチュワートへの評価、将来の成長の予想においてである。それは筆者の技術分析の失敗例である。しかし、それもその時点での現実であった。「私はスチュワートの転落を予想していた」などと文章を書き換えてはいない。誤りは誤りとして、変化(見方の修正)の基礎になる。
最後に、写真を提供してくれた「RING」誌、Big Fights社のBill Cayton氏、そして「ワールド・ボクシング」誌の前田衷編集長に感謝したい。前田編集長には、こんな個性の強い技術分析を約10年間、書き続けさせてもらい、その点でも非常に感謝している。毎月自分の考えをまとめ、書き続けることで、筆者のボクシング観は現実により琢磨された、と思う。
弊社リング・ジャパンの助手、久保田守君には、パソコンを叩き、筆者の膨大なビデオ・ストックから分析対象の選手のビデオを抽出し、毎月、ビデオの試合の頭出しをしてもらった。さらに、連載中、ノックダウンの数とかラウンドとか細部のデータにつき、よく確認してもらった。感謝している。
本書製作において内容、構成、日程の点で筆者のさまざまな要望を実現してくれた武蔵野印刷の皆さんに、いつもながら多大な謝意を表したい。そして、わがリング・ジャパン・スタッフ諸君にも――。
2002年7月
ジョー小泉
以上