プール100回目の日

 7月8日のことだ。朝プールに行くと、カードにスタンプを押してくれる。それがちょうど今年100回になった。知り合いに見せて自慢しようと思った。いつも以上に泳いだあと気分がよかった。

 11時半ごろ、家を出て床屋に行った。もちろん、そのカードを持参した。途中、道路工事の作業者がスマホを見ながら同僚と話をしていた。「心肺停止らしい・・・」

 誰のことだろう。床屋に着くと、奥さんが言った。「安倍さんが撃たれたそうですよ。知っていました、心肺停止って?」
 そこで、道すがら聞いた先ほどの話の断片を思い出した。

 安倍氏が亡くなり、こちらはプール100回到達の自慢話を当分外へ出さないことにした。それは不謹慎なように思われた。

 一ヵ月が経つと、プール100回の喜びはもう失せた。そんなことはもうどうでもよくなった。

 プールからあがり、屋外のベランダのベンチに座り、OS1(経口補水液)を飲みながら考える。

 私はいつも何かをする人間だから、いまわの際でも何かをしている最中だろう。ものを書く。本を読む。書道をする。絵を描く。木版画を彫る。・・・あと1時間で仕上がるのに、仕上げる余力が残っていない。そのあと1時間のエネルギー欠如はきっと歯がゆいだろう。悔しいだろう。

 その1時間と今日の1時間とは同じ物理量だ。末期の1時間を想えば、今日の1時間をもっと大事にせねばならない。

 今日を大事に生きよう。
 今日を大事に生きよう。
今日を大事に生きよう。

と、三度となえてから立ち上がり、ゆっくり深呼吸しながら歩いて帰る。

今日何をすべきか、その手順は、と考えつつ歩く。
そう考える楽しみがあるから、朝のプール通いはやめられない。
(8−20−2022)