私がまだ小学生の頃だ。親父が日曜、墨を磨り、筆で字を書きだした。黒い地に白抜きの古い拓本を側に置き、墨痕淋漓、漢字を書く。
いまでも耳に残るのは、親父が言った中国の書家の名前だ。
おうぎし、ぐせいなん、おうようじゅん、ちょすいりょう。
子供の眼からすると、親父の字は上手く見えた。傍らの拓本の字はさらに巧い。
親父はいつも手習いをするわけではなく、気が向いたとき、絵を描くこともあった。設計技師だから、遠近法を用いた建築デッサンのような風景画だったが、これも子供の眼からは上手く映った。
私は還暦前から書道を習い始めた。古典を真似て臨書することから練習が始まる。そのとき、昔、耳で聞いた能筆(書の名手)の名と再会することになった。
王羲之、虞世南、欧陽詢、褚遂良。
その読みの音が耳によみがえってきた。
親父は字をくずさず、楷書を貫いたーー手紙でも手帳でも。あるとき、母が訊いた。なぜそんな角ばった字ばかり書くのかと。それは世間で達筆というと、字をくずし、字と字をつなぐ(連綿という)筆跡を指したからだ。
「俺は楷書でさえまだ上手く書けない。それなのになぜくずし字を書く必要があるか」
ときどき書く手を休め、じっと拓本をながめる。しばらくして、また書きだす。
――私は書道を習い始めて約二十年になる。行書、草書、隷書などいろんな書体を習って、いま楷書を復習している。
すぐれた楷書は幾何学的に美しい。左右対称。水平と垂直の交差。平面を切断する左右の払い。点画の最適な配置。
ああ、これか、楷書愛好家の親父が陶酔するようにながめていたのはーー。それは楷書の極則(究極の手本)と評される欧陽詢の「九成宮禮泉銘 きゅうせいきゅうれいせんめい」だったと思う。
おうぎし、ぐせいなん、おうようじゅん、ちょすいりょう。
令和四年五月十七日記
週刊新潮に連載コラム「アスリート列伝 覚醒の時」を書いている小林信也氏からインタビューの申し込みがあった。約30年前に来宅されたことがあったが、実に久しぶりだ。
テーマはキーウ市長のビタリ・クリチコで、インタビューの場所は体育館にしてもらった。ほぼ毎朝プール通いをしているので、10時に待ち合わせた。
その記事が同誌5月26日号56頁に掲載されていて、よくまとまっていて大いに感心した。先週の木曜発売なので、まだ店頭に並んでいるかもしれない。
今年に入ってからプール通いは約80回になる。午前、徒歩での往復を含め1時間半運動し、午後はまた眼の疲労回復のため半時間は体操をしながら歩く。毎日、2時間は屋外で身体を動かしていることになる。それがもう20年は続いている。
(5−25−2022)