字消し版(手書き原稿)

 何かちょっとした随筆を手書きで残しておくのは趣きのあることだ、と思う。その書きものは世界で唯一無二の存在だから。

 森鴎外の「寒山拾得」や平家物語を筆で書き写したことがあるが、それよりも自分自身の随筆なり小説を筆や万年筆で書いて専用ファイルに収めることに独自性を感じる。

 この「字消し版」は亡き友を悼む気持ちで書いた。
 彼は孤独死だったそうだ。合掌。


原稿の1頁目をクリックすると、全文が出ます。
(2−21−2022)


字消し板

 花鳥風月という名の古書店があり、書道や水墨画の本をよく求めた。店主の工藤さんとは懇意だったが、昨年末、店を閉じた。

 古書店では値段を二通りの方法で表示する。裏側の頁に鉛筆で書くのがひとつ。いまひとつは、表紙か裏表紙に口取り紙(インデックスシール)に値段を表示したものを貼る。

 花鳥風月は後者だ。あるとき、工藤さんに訊いた。「値段シールをきれいにはがす方法はありませんか?」と。

 工藤さんは即答せず、しばらくしてこちらがその質問を忘れた頃、回答をくれた。「これを使うと値段シールが簡単に取れるそうです」といって差し出したのが、字消し板だ。

 私は工学部機械科出身で、学生時代から製図の実習で書き損じた文字、数字、線にその字消し板をあて、必要な箇所だけ消しゴムで修正した。馴染みの文房具だ。まさか字消し板を古書店で勧められるとはーー。

 字消し板で想いだしたが、われわれ50名のクラスは製図室で各自、製図台を与えられ、連日図面を描いた。あるとき、「おい、字消し板、貸してくれ。俺のがどこかに行って見つからん」と声をかけられた。

 ふだんからそれほど親しくはないのに、まるで身内のような感じでものを貸せ、といわれてちょっと戸惑った。それがHで、以後、口をきくようになった。

 Hは陸上競技部で、短距離の選手だった。あるとき、「陸上って、100メートル、11秒切れるのか?」と軽く質問したとき、急に怒り出した。

 「11秒切れないで、陸上部にいると思うのか? ばかにするな!」と大層な剣幕だった。すぐ仲直りしたのだが、穏やかな男なのに、ときどき切れることがあった。それから、酒が入ると、声が大きくなった。

 お互い卒業して別の会社でエンジニアをして、ともに定年を過ぎる歳になった。現在関東にいる同窓生だけで飲み会をすることになり、それに顔を出すようになった。そこでHと再会した。

 あるとき、Hが幹事になり、浅草の飲み屋で同窓会を開いた。Hは下肢が悪いのだろうか、歩行が滑らかではなかった。お開きになり、私はHに肩を貸しながら東武線の乗り口まで送った。それがHと会った最後になった。

Hとわりに親しかったAが「最近、連絡が取れなくなった」と心配していた。

 後日、Aからわれわれ同窓生に連絡があった。Hを訪ねたら、もう亡くなっていたそうだ。Hは独り暮らしだったそうで、息子はいるが、彼は父の死をわれわれ同窓生にまで連絡してはくれなかった。

 2時間近くかけてわざわざ群馬県伊勢崎市まで行ってくれたAに感謝するとともに、「あれだけ元気だったアスリートがこんな形で亡くなるのか」と心が痛んだ。

 われわれ同窓生の生存者名簿からHが消えた。まるで字消し板を当て、消しゴムでその名を消したように。


日書展優作入選

 1月上旬、上野の東京都美術館で開催された日書展(日本書道美術院展)において、優作に入選した。

ボクシング・ファン・クラブ(BFC)の会員諸氏にはそれを通知したが、オミクロン株蔓延を危惧して、この「ひとりごと」にて一般の方には告知しなかった。

1月5日にホテルオークラで表彰式が行われ、賞状を受け取ってから上野へ移動した。

見終わって冷たい空気の中、家内と上野公園を歩き、熱い珈琲を飲んだとき、実にさわやかな気分になった(拙作は、写真の左から2作目、扇が縦に4つ並んだ百人一首)。

ポイント制で優作は4点だから、次回からは一科に昇格するそうだ。かなを習いに行き出して4年目だが、本橋郁子先生のご指導のおかげと深く感謝する次第である。

従来、漢字(徳村旭厳先生に師事して16年になる)では漢詩、漢文を臨書することが多く、これは「漢」にかかわる。

さらに、かな書道により万葉集、百人一首を読み返す習慣ができ、これは「和」にかかわる。

なお、仕事柄、朝から晩まで英文を読んだり書いたりするのが日常であり、これは「洋」にかかわる。

ほぼ毎日プールで泳ぎ、1万歩あるいて、早く寝る規則正しい生活をするよう努めている。

長生きできれば、自分の中で「和漢洋」折衷ができるのだが、どこまで行けるか“分かんないよう”。
(2−11−2022)