わがオンライン講演のあと、学友たちから質問を受け、Q&Aをした。
Q:手書きの効用があるというのは分かるような気がするが、それなら書きやすいボールペンなりシャープペンシルを1本か2本持って、それを使えばいい話だろう。それをなぜそんなに集めるんだ?
A:世の中に「TASTE 味」というものがあるだろう。書く道具(something to write with)おのおのに「書き味」がある。その味の違いに興味を持つから筆記具を集めるコレクターになったわけだ。
私は書道愛好家だから、筆に興味を持つ。筆により書き味が違う。別の筆で書くことにロマンというか神秘がある。「この新しい筆で書くと、どんな字が書けるだろうか?」と。それと同様、ボールペンやシャープペンシルにも独特な「味」がある、と思うわけだ。
Q:そういえば、手で字を書く機会が減ったな。来週や来月のスケジュールもスマホやPCにチョコチョコと打ち込んで終わり。手帳を使う機会も減ったな。
A:そりゃ、あなたがたがもう会社勤めを終えて悠々自適な隠居生活を送っているからで、私などはつねに何かを書く、手で書くことが生活の一部になっている。
Q:その1.4ミリのボールペンの先を見せてほしい。やはり、先端はボールか?
A:そう、頭はボールで、ボールペンの構造をしている。
Q:それにしてもコレクション、すごいな。何に使うんだ?
A:もっぱら単語カードを作るのに使っている。アンダーラインを引きながら、本を読むだろう。中に分からない、知らない、読めない単語や漢字があって、辞書を引くよな。その中で、これはと思う単語はカードに書くわけだ。わが単語カードを見せよう。英語、スペイン語、中国語、そして日本語だ。受験生のようにカードに記入する。
Q:辛気臭い話だな。若い頃ならともかく、この頃、あまり辞書なんか引かんな。
A:そう、単語カードなどに書き込むのは確かに辛気臭い。だから、それを書くシャープペンシルやボールペンを替えて、気分を変えてカードに書くわけだ。
Q:そんなに文房具を集めて、死んだらどう処分するんだ?(相変わらず、口が悪い)
A:(絶句)。
(11−15−2020)
次にシャープペンシルに移るが、その前に鉛筆について話そう。
鉛筆には2つの欠陥というか不具合(inconvenience)がある。
第一に、芯が折れやすいこと。
第二に、削るのが面倒なこと。
そこで、削る手間を省く筆記用具としてシャープペンシルが考案された。シャープペンシルを英語では「mechanical pencil」という。文字通り、機械工具的鉛筆ということになる。
なぜそれをシャープペンシルと呼ぶかというと、19世紀にアメリカで発売されたとき、Ever sharp (つねに尖っている)という商品名で流通したためらしい。
鉛筆の芯自体はleadで、導くという動詞と同じスペリングだが、発音は違って「レッド」だ。これは元来、鉛の意味だが、鉛筆では「黒鉛」を意味する。
芯の成分は、70%が黒鉛で、30%が粘土だ。
よく鉛筆の濃さを示すHBとか、2Bとか、2Hとかの表示があるだろう。HはHard(硬さ)を示し、BはBlack(黒さ、濃さ)を示すわけだ。
黒鉛の比率が高いほど濃いが、粘土の比率が低いので粘り気が落ちて折れやすい。逆に、2H、3H、4HとHが上がるにつれ、黒鉛のパーセントが減って薄い色になるかわり、粘土%が増えて折れにくくなる。
私が鉛筆、特にシャープペンシル愛好家になったことには、あるきっかけがある。隣家の男の子がまだ小学生だったとき、宿題で「隣の家のおとうさんの職業についてインタビューして、レポートを出す」というものだ。
私の仕事は、ボクシングのマッチメーカー(仲介者)、ボクシングライター、テレビ解説者だから、普通の会社員の人たちとはちょっと違う。子供のインタビューを受けているとき、少年がノートに書いている筆記具に目が行った。
「それ書きやすそうだね。ちょっと書かせて」と、借用した。クルトガというシャープペンシルで、芯が自動的にくるくる回って尖った状態を持続する仕組みのようだ。
私の最初のクルトガは、高田馬場の文具店、CHIKUHO(竹宝商会)で求めた。私はこの文具専門店が好きで、なぜ好きかというと、品ぞろえが豊富なのと、どの店員でも商品知識がこれまた豊富で、みんな親切なためだ。私のような文房具愛好家のマニアックな質問にも丁寧に答えてくれる。最近はコロナ禍で高田馬場まで足が伸びないが、また行って何か買いたい。
最初、その店でクルトガを求めたとき、若主人が「いまクルトガはキャンペーンセール中で、くじを引けます」と言った。それを引くと、当たりだ。
くじの商品として、もう1本クルトガをわがものにした。それは「金のクルトガ」といって、シャープペンシルの軸が金色のものだ。ちなみに、最初に買ったのは、黒色で非常にシャープ(鋭い)感じのするものだった。グリコは一粒で2度おいしいというが、私にとりクルトガには1本買って2本入手した思い出がある。
私のシャープペンシル・コレクションの写真を見せよう。0.5ミリのものが多くて、0.7ミリが多くないのは、実は写真を取るために現在の筆立てにある最適位置から出すのが面倒になったからだ。0.7ミリもたくさん持っている。
シャープペンシルの特長は大きくいって2つある。第一に、折れにくいこと。第二に、握りが適度にソフトで長時間書き続けても、ペンだこにならないことだ。
私の親父は潜水艦の設計技師だったが、よく鉛筆を使うので中指の先に大きくて硬いペンだこができていた。私もサラリーマン時代には、よく字を書いたのでペンだこがあったな。
話が変わって、ボクシングの総会は毎年、場所を替えて世界各地を巡回する。数年前、ウクライナのキエフで総会が開かれた折り、家内とキエフの中央公園の下、つまり地下にある大きなスーパーマーケットに入った。家内はウクライナ特有の香辛料を探し、それを待つ間、私は文具コーナーでいろいろ物色していた。
中に、シンプルな仕様(スペック)のシャープペンシルがあり、値段は日本円で30円程度だった。それがホテルに帰って書いてみると、日本のシャープペンシルとは違った書き味、握りの感覚で、しかも芯の先が長くメタルで保護されていて折れにくい。
いいな。クリチコ兄弟なんかも、こんな素朴で実用的なシャープペンシルでノートを取ったのだろう、と勝手に想像して、妙な感動をした。
最後に、原稿を書くとき、新聞社や雑誌社に送るときは、PCで打ってメールで送るが、自分用の随筆を書きおくときには、従来、万年筆を使っていた。この万年筆でものを書くのが、頭に次の文章が浮かぶリズムとあいまって、書くこと自体が実に楽しい。白地に罫(けい)の入った枡目に字を埋めていく。元は白地だったのが、文字で埋まっていくことで、何か生産をしている充実感を覚える。
最近、万年筆の代わりに森鴎外のように筆で書く。または、鉛筆あるいは太めのシャープペンシルで書いたりする。後者の場合、ミスをしたり、あとから読み返しておかしいところは、消しゴムで元の白地に戻せる。推敲後、コピーを取ると、それが出来上がりになる。
編集者の存在を意識したり、出版を考えるから、心の中の思ったことが筆に伝わらず、別の(よそいきの)ことを書いたりする。それは自分にとり真実ではない。
手書きの効用というものがあるとすれば、それは思考と筆記のリズムの同調であり強振であろう。PCでなく手で書く行為で、何かものを書く人にとり根源的なextraction(魂からの抽出)ができるような気がする。単に、手書きが好きなだけかもしれないが。
Kはまだ来ない。今日は休みかな。
(11−3−2020)