ジョー小泉のひとりごと 2020年10月


オンライン飲み会 講演 その3 ボールペン・コレクション

 ボールペンのことを英語でball point penという。先に小さなボールがついていて、それが回転するとともにインクが重力で下りてきて均一な線が書ける。

 昔のボールペンは途中でインクが出なくなり、ライターで先端のボールを温め回転を促進したりして補修に手間をとった。線が太くなったりして紙が汚れることが多々起こり、あまり好きではなかった。

 水性ボールペンというものが現れ、俄然、書き味がよくなった。これが出現してから、0.5ミリとか0.7ミリとか線の太さごとに違う商品が出てきた。また、いろんな色のボールペンが商品化された。

 さらに、摩擦熱で消えるボールペンがパイロットから出た(ただし、消えるかわりに黒の濃度がやや低い)。

 ボールペンを選ぶ際の特徴は次の通りだ。第一に、紙との接触が滑らかで、書きやすく速く書けることだ。この速く書けるというのは自分にとって非常に大事で、頭に浮かんだ発想をそれが消えないうちに書き留めねばならない。思考の速度に手が追い付かねばならない。そのためには、ボールペンと紙との摩擦が適度に小さいことが必要だ。

 第二に、ペンの握りが適度に柔らかいこと。数十分間、書き続けても指が痛くならないのが望ましい。

 第三に、インクのスペアの交換が容易であること。容易というのは、文具店でそのスペアが求めやすく、なおかつ、取り換え、装着がたやすいことをいう。

 いま好きなボールペンは、ペンテルのENERGEL、黒の1.0ミリだ。気まぐれだから、来年あたり他のものに嗜好が変わっているかもしれないが、いまのところはこれだ。これを使って、郵便局のレターパック(ライト、あるいはプラス)の宛名を大きく黒い字で書くとき、いい字が書ける感触がある。ノートに書くときは、0.5ミリか0.7ミリを使う。

 大体、コンビニなどで売っているボールペンは他社と競合して勝つため、使いやすく、適価のものが多い。コンビニのメーカーごとに置いている文房具メーカーが違うケースがある。だから、コンビニに寄るたびに、各社の新作ボールペンを求め、試し書きする。

 一時期、ノートに青の細いボールペンで予定を書き込み、スケジュールを消化すると、赤鉛筆(この赤鉛筆が好きで、いろいろ集めている)で棒線を引くのを習慣としていた。いわば、消込みだ。

 その青のボールペンだが、メーカーにより、青色の濃淡があり、紙の上で色合いが違う。一時期、パイロットのハイテクという細字用のボールペンが好きになり、0.3ミリや0.5ミリと使い分けていた。そのハイテクに青と紺があり、青色の明るさが違っていた。最近は、その先端の感覚が好みと合わなくなり、使用頻度が落ちてきた。私は気まぐれなのだ。

 中国へ試合で行ったとき、ホテルの真ん前にスーパーマーケットがあり、その地下に大きな文房具コーナーがあった。そこで、中国のボールペンを試しに買ってみたら、これが非常に品質がよい。

 そうか、昔、日本の文具メーカーの下請けをしていた頃、技術を学び取ったのかもしれない。非常に安くて、書き味がいい。「お主、やるな」という感じだった。

 英国のリースという学園都市に行ったことがある。いまの世界王者、ジョッシュ・ウォリントンと天笠尚との試合のためだが、この街は大学、大きな病院、美術館があり、実に清潔な街だった。たしか、日本の皇族の子女がいまリースの大学に留学しているはずだ。

 リースの街に大きな文房具店があり、ホテルのコンシエルジュに場所を教えてもらい、てくてく歩いて行った。実にいろんな商品があり、目移りがするほどだった。

 大きな店の特長は、試し書きをさせてくれることだ。そこで、いろんなボールペンを試用してみた。「あれもほしい、これもほしい」という駄々っ子現象があらわれ、我ながら又かと苦笑した。そこでは、ボールペンが5本とか10本セットで売られていて、結構まとめ買いをした。

 ボールペンについてうんちくを傾けていると終わらないから、次はシャープペンシルに行こう。

 Kはまだ来ないな。他の用事があるならこのオンライン飲み会に連絡してくればいいのにーー。
(10−31−2020)


オンライン飲み会 講演 その2 消しゴム・コレクション

 手で文字や絵を書く/描くことが子供の頃から好きで、その道具である文房具にずっと興味を持ち続けている。

 まず、消しゴムだ。こんな便利なものをよく考えたものだと思う。
消しゴムと鉛筆は相補う関係にある。英語でいうと、complementary each other (相互補完的)だな。何でも英語で言い換えてみるのは、君たち承知の通り、私の趣味だ。

 消しゴムの必要条件は、第一に、鉛筆やシャープペンシルなどで書いた字/画をきれいに消せる/消滅させることだ。第二に、消しカスの処理が容易なことだ。第三に、消しゴムを握って、手に粘着感(ねちゃつき)がないことだ。

 われわれは学生時代、製図室でよく図面を描いたな。描いては消し、描いては消しーー。字消し版を当て、必要な箇所だけ、ごしごし消しゴムを当てる。消しカスを羽根ブラシで払う。

 プラスティック消しゴムが出現するまで、その性能はあまりよくはなかった。消しゴムってそんなものだ、と思っていたら、プラスティック消しゴムはよく消えて、消しカスがぼろぼろにならず、うまくまとまる。だから、刷毛をかけやすい。

 消しゴムって進化する。諸君は会社で偉い人になり、あまり消しゴムなど使わなかったかもしれないが、いろいろ使ってみると、消しゴムはいろんなメーカーが競合して日進月歩よくなっている。

 より少ない消し方/労力で完全に消える。元の紙が痛まない。昔の消しゴムは、ごしごし消すと、紙が破れたり薄くなったりしたものだ。

 鉛筆で書いた文字は紙の上に付着しているだけだから、消しゴムで柔らかく消すだけで、うまくはがれて消える。もう力を込めて消す必要がない。しかも、消しカスの量が少ない。書き続けても、消しカスで手が汚れない。

 いろんな消しゴムを試してきた。海外出張すると、ドイツや英国の文具店で他の文房具と一緒に消しゴムを求めてきた。主観だが、日本の消しゴムは他国のそれより性能がよいようだ。

 印象に残る消しゴムは、パナマのWBO総会に行ったとき、パナマ運河のギフトショップで買ったCanal de Panamaと記したものだ。4センチ四方、高さは1.2センチの子供用の玩具のようなデザインだが、実によく消える。もうひとつ買っておけばよかった、と思うが、その消しゴムを買うために再度パナマには行けない。

 もうひとつは、DAISOという100円ショップで求めた「コロ消し」という商品だ。紙の上の文字をコロに付着させ消してしまう。何度も 使ったあとは、セロテープに当てて転がすと、簡単にその付着が取れてしまう。消しカスがまったく出ないので、非常に気に入って、何個か求めた。

 オンライン飲み会の諸君、使ってみたまえ。そして、パナマに行く機会があれば、運河の土産物店で消しゴムを買うのを忘れないようにーー。

 Kはまだ画面に現れないな。では、次にボールペンに行こうか。
(10−30−2020)


オンライン飲み会 講演 その1 親父は元近衛兵

 月に一度、学生時代の同窓生とオンライン飲み会をしている。飲み会といっても、私は夜、書道や水墨画をするのでコーヒーで付き合いをしている。

 ただ昔話をして酒(私だけコーヒー)を呑むだけでは興がないので、持ち回りで誰かが何か話をすることになった。それは私が言い出したことでもある。

 われわれは工学部機械科の卒業生なので、会社ではエンジニアとして勤めあげ、現在は年金生活者が大半だ。私のようなドロップアウトして好きな道に進んだのは例外である。

 持ち回り講演は次のようなテーマだった。
1.ドイツ滞在中の想い出(K)
2.統計学から見たコロナ第2波到来の予測(これは私)
3.写真マニアによるカメラの原理とPC整理法(F)
4.高齢者テニスリーグ参戦記(T)

 そして、私がまた手を挙げ、自分の文房具マニアぶりを講演することになった。ドイツに6年余り滞在したKが「ドイツではStaedtlerなど優れた文房具があった」と言ったことがあり、日本の文房具の日進月歩ぶりをぜひKに説明したかった。

 ところが、肝心のKが始まりの時間になってもまだ参加しない。そこで、Kが画面に現れるまでの時間つぶしとして、私がなぜ文房具マニアになったか、その端緒を話し出した。

 わが親父は近衛兵で、いまの上皇の皇太子時代、護衛兵として勤め終戦を迎えた。二十歳前後から数年間、広島から東京に出てきて近衛兵生活を送ったそうだ。

 最近、近衛兵、あるいは近衛兵の戦後というテーマに興味があり、古書店でそのような本を求めては読んでいる。

 近衛兵というのは結構厳しく陰湿な社会だったようで、何か物がなくなると「天皇陛下からいただいたものだから、徹底的に探せ」と命じられ、小物さがしのため何時間も費やしたそうだ。それは初年兵いじめの儀式だった。

 「ものは定位置にもどせ!」というのが、親父の私にたいする躾(しつけ)の第一歩で、子供の頃から持ち物をなくしたとき、徹底的に探しだす教育を受けた。

 なくなったものはなかなか見つからない。「ない」と捜索を断念しては、殴られた。それは整理をすることを強制する教育だったのだろう。

 そのトラウマから、私は何事によらず、スペア(代替品)を収納する人間になった。これはと思う本は、なくす確率は低いのに、万が一に備え、もう一冊求め、本棚に収納する。

 文房具にもそのダブルストックの性癖が及び、同じような文具をいろいろ収集する。そんなコレクションは自分の性分にも合ったようで、私は文房具収集家になってしまった。

 Kはまだ来ない。忘れているんじゃないかな。
(10−29−2020)